【新春対談】梅田望夫氏と佐藤康光棋聖が語る

産経新聞に掲載された対談の完全版。ヴォリュームたっぷりで読み応えのある対談です。気になったところを一部引用しました。
(1)ネットで目的にたどりつけるのは疑問を持つ人だけ
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080101/its0801010813000-n1.htm

世界で何が起きているんだろうとかいうことは知りたいでしょう。すると、新聞見ないと俯瞰(ふかん)性が得られない。土地勘がないところで、自分が何を知っていなければならないのか、という漠然とした要求を持って情報に対峙(たいじ)しようとしたら、雑誌や新聞などのパッケージにした情報がないと話にならない。つまり、ネットと新聞は対峙するものではなく、双方が補完し合うものだということです。


(2)学習の高速道路を抜けるとけもの道
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080101/its0801010817001-n1.htm

仮に、コンピューターの性能が上がって、まれに勝つことはあるとしても、何度も見るに堪える意外性や芸術性が生まれるのかどうか。見る側からすると、羽生−佐藤戦は、何度でも鑑賞する価値がある。無から始まるわけですが、その1局というのは必ず固有の1局になって、個性がある。


(3)一面的な「ネットと格差」議論
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080101/its0801010821002-n1.htm

過去の経験の積み上げは膨大で、莫大(ばくだい)なエネルギーの集積です。それを超えたものを生み出そうとすると、ぼくの場合は、今まで自分が培ってきたものを、絶えずこうなんていうのか、アンテナを張っている状態でないと。繰り返しになるが、感覚が研ぎ澄まされている状態でないと過去は超えられない。


(4)ネット性善説
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080101/its0801010826003-n1.htm

たとえば、イデオロギー、政治にかかわる過激な発言を慎むとか、アイドルや熱狂的なファンがいる人に対して不用意な発言をするとか。意味もなく偉そうにするとか、属している組織をバックにして人を見下すとか。そういうのはダメ。でも、人間として当たり前のことを普通にやっていて、やらないほうがいいことをやらなければ、ほとんど何も起きません。