3/21 音遊びの会公演『音の危機一髪!』@3331 Arts Chiyoda

音遊びの会、は2005年に結成された知的障害者と音楽家の出会いを軸とした即興演奏バンドです。現在、神戸で隔週でワークショップを行うなど積極的に活動していますが、今回が2度目の東京公演となります。
私が彼らのことを知ったのは大友良英のブログを通してでした。彼らとの出会いによって、自分の音楽が変わったとまで言わしめた音遊びの会とは、一体どんな音を出すのだろうか?タワレコに行けば過去の公演の音源を収録したCDが手に入るのは知っていましたが、おそらく音だけでは伝わらない何かがあるのではないか?と思い、あえて事前に聴くことはしませんでした。また、これは誤解を招く書き方になるかもしれませんが、知的障害者である彼らの出す音に自分がどのようなスタンスで向き合えばよいのかが、迷っていたのです。音は音として受け止めればいいじゃないか、とは思っていても意識してしまうのは避けがたい。音に対する興味だけで接するというのはどうなのだろうか?かといって、過剰に意識してしまうのもある意味失礼なのでは?などあれこれ思い悩んでいたのですが、せっかくの機会だから、まず自分の身体全体で彼らの音を受け止めてみようじゃないかと、腰をあげて会場に向かった次第です。
3331 Arts Chiyodaは廃校となった中学校を利用した施設。公演はその体育館で行われました。3部構成で第1部はパフォーマンスを中心としたもの。メンバーが一人ずつ舞台にあがり、大きな風船をバットで打ち返していき、その風船は大きな竿をもった数人のスタッフ(?)が下に落ちないようにすくいあげていきます。やがてメンバーも会場にちらばり風船をすくったりと様々な行動をとっていきました。大友良英もいつのまにか会場の端に現れ、時折ギターをそっとかきならします。会場の中央に吊るされたミラーボールが時折回転し、赤、白、青など様々な色の風船を照らし出し、独特の空間を生み出し・・・てはいたのですが、この時点では上に述べた迷いは払拭されませんでした。これもひとつの音楽とは思うけど、普通の人がやってたら面白くもなんともないよな、と「普通」と「障害」に間に自分で勝手に境界線を引いてしまったのです。正直、第1部はそれほど私にとって楽しめるものではありませんでした。
少し沈んでいた気持ちが浮き立ち始めたのは、休憩の間に楽器が舞台上に並べられるのを見たときからでした。さっきのも広い意味での「音楽」であることは間違いない。でもあまりノレなかった。けれど楽器が出てくればこっちのものだ、これならまっすぐ彼らの音を受け止められるはずだと、手前勝手な思考が頭の中を駆け巡ります。はたして第2部の冒頭、全員が舞台にあがり強烈なビートを発したときには素直に「おお、カッコいいじゃん!」と盛り上がりました。まず多数の打楽器からズゴゴゴと打ち鳴らされるうねりの中から立ち上がってきた、強靭なトロンボーンの音に耳奪われました。太く、力強く、輝きがある圧倒的な音色。ものすごい迫力です。続いてステージから降りてきた少年が踊り始めました。これがまたすごかった。身体全体でビートを表現していてグルーヴの塊と化しています。やがていつのまにか彼の踊りは指揮にもなり、舞台の演奏をいつとはなしにコントロールしていったのです。胸が熱くなるのを覚えました。
全員の演奏の後はユニットごとに様々な形態の演奏が披露されました。正直、全てが面白かったわけではありません。富樫雅彦ばりの間を生かしたパーカッションにうなったり、坂田明もかくやと思わせるハナモゲラスキャットに笑ったりもすれば、最後まで焦点があわないまま終わってしまい「あれ?」というのもありました。ただ、面白かったものもつまらなかったものもひっくるめて彼らの音にようやくまっすぐに向かい合うことが出来た、という喜びはこの胸に確かに残りました。
第3部は再び全員による即興演奏。これはまず少女のダンスから始まりました。客席には背を向けて一心不乱に踊り続ける中、演奏がスタート。当初は演奏と関係なく、没我の境地で踊っているかのように見えた動きが徐々に音からの刺激を受けたものに変わっていきます。そして演奏も彼女の動きに触発されたものになっていく、その過程がこのうえなくスリリングで興奮させられました。
最初はどうなることかと思ったこの公演、終わってみればかけがえのない体験となりました。5月には彼らの活動を記録した映画が公開されたそうです。ぜひ、これも観に行きたいと今は思っています。