3/14 アルド・チッコリーニ『ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ』第1夜@すみだトリフォニーホール

チッコリーニのリサイタルに行くのもこれで3度目となります。今年で85歳になるチッコリーニですが、枯淡という言葉からは程遠い、新鮮な音楽を聴かせてくれるのにはただ驚くばかり。しかも過去の来日時を上回る素晴らしい演奏だったのですから、もうなんといえばよいのか。

今回のプログラムはシューベルト「ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960」とムソルグスキー展覧会の絵」の大作2本立てでした。
まず、シューベルト。このシューベルトの早すぎる晩年に書かれた最後のピアノ・ソナタは規模の大きさと、シューベルトならではの旋律美に満ちた傑作と呼ばれているのですが、私の乏しい聴取経験では、綺麗ではあるけれど、どこかしどけなくて途中で退屈になったりする演奏や、徒にデモーニッシュな側面を強調しようとして鼻につく演奏だったりと、「これだ!」という演奏には接していませんでした。しかし、この日のチッコリーニの演奏はこの曲が真に傑作であることを私に心の底から納得させた見事な演奏でした。第1楽章の、途中でふいに音が途切れたり、左手で平坦なリズムが刻まれたりする、とりとめのない音の連なりから、ふっと泉が湧きあがるように叙情的なメロディーが立ち現れてきた瞬間の形容しようもない美しさに打たれて、一気に曲の世界に引きずり込まれました。奥底にうっすらと不安感をにじませながらもシューベルト特有の美しさをもつメロディーが次々とチッコリーニの指先から紡ぎだされ、音による小宇宙が会場を包み込んでいきました。まさかシューベルトの音楽で宇宙的な広がりを感じるとは・・・大げさな表現に思われてしまうかもしれませんが、本当にコズミックでスピリチュアルな音楽だったんですよ。

前半で早くも圧倒されて頭がくらくらになりながら休憩時にロビーに出たら、なんとまあ仙台から来ていたchimeさんとばったり。久闊を叙しつつ今聴いたばかりの演奏の話で盛り上がる。少し気持ちも落ち着いたところで後半の「展覧会の絵」に臨みました。
これはラヴェル編曲のオーケストラ版や富田勲シンセサイザー版、EL&P(そういえば同じ日に吉松隆編曲による「タルカス」オーケストラ版の演奏会もあったのでした。こちらも聴いてみたかったですね)によるロック版など様々な形で耳にしてきたおなじみの曲。このポピュラーな曲をチッコリーニはどのように料理するのか・・・と興味津々だったのですが、冒頭のプロムナードでいきなり驚きました。前半のシューベルトの深さをそのまま引き継いだかのような泰然としたテンポ!プロムナードがこんなに格調高く弾かれたのを初めて聴きました。なまじな演奏で聴くとすぐ退屈してしまう「古城」のメロディーもかなりのスロー・テンポで弾かれているのに飽きさせません。絵を描写するというよりも、ムソルグスキーやハルトマンの心象に踏み込んでいくような演奏。それがこのうえない美音で奏でられるのですからたまりません。最後の「キエフの大門」も決してこれみよがしに派手に弾いているのではないのに、壮麗な情景が自然に浮かび上がってきて堪能しました。

静かな興奮に包まれた会場からは演奏を終えた巨匠に惜しみない拍手が送られました。アンコールは3曲。エルガー「愛の挨拶」とスカルラッティソナタ、そしてファリャ「火祭りの踊り」。あれだけの大曲を弾いた後でまだ「火祭り」のような派手な曲を弾けるパワーにも感心しましたが、これはまあ景気づけ。その前のエルガースカルラッティがひたすら美しく、その香気溢れるリリシズムに酔わされました。最初の一音から最後の一音に至るまで音楽の歓びがぎっしりとつまった、本当に最高のリサイタルでした。ありがとう、チッコリーニ