塚本邦雄「百句燦燦」

百句燦燦 現代俳諧頌 (講談社文芸文庫 つE 2)

百句燦燦 現代俳諧頌 (講談社文芸文庫 つE 2)

講談社文藝文庫から「王朝百首」が刊行されました。先に刊行された「定家百首」、今回取り上げた「百句燦燦」に続くもので、いずれも和歌・俳句の評釈の形式を取っています。これは詠まれた句・和歌の意味を解説した本ではなく、あくまで評釈、それもありきたりの評釈ではありません。塚本の強靭な美学に貫かれた、ある意味創作といっても過言ではないものになっています。「定家百首」と「王朝百首」はまず選ばれた歌の韻文訳を試み、その後評釈が続くといった内容で、さながら塚本と王朝歌人達との真剣勝負。それに比べれば句の後にすぐ評釈が続く「百句燦燦」は比較的入りやすいかもしれませんが、そうはいっても手ごわい書物です。なにしろ解説を手がけた橋本治にして「ただ「すごい」と思うしかない。」と書いているのですからね。しかし、先の二著と併せて、和歌・俳句のもつ言葉のエネルギー、美しさをこれほどまでに魅力的に書いている本を他に知りません。
もちろん、私もただ「すごい」と思いつつうんうん唸りながら読むのが精一杯で、この本の魅力をちゃんと解説するなんてできっこないのですが、ひとつだけ本文の一部を引用します。そうですねえ、先日の皆既日食にこじつけて、小川双々子「月蝕や頭翳りて男立つ」の評釈にしましょうか。なお、原文は正字正カナであることをお断りしておきます。

月蝕は地球の悪意である。日蝕が「遮られる」受身のかなしみなら、月蝕は「遮る」といふアクティヴな行為に地球が刻刻を賭けている。所詮はみづから光を発し得ぬ呪われた天体の恋争いであるが、月によつて遮られた日の憎悪を、この夜にして一挙に晴らそうと地球は地表を鳥肌立たせ残酷な悦びに戦いている。蝕まれた月が銅色に翳る前に、あるいは翳ると同時に頭を翳らせて立つ男とはいづこより遣わされた巫者であろう。(中略)月蝕の男に巫者の面影を見たのは私の独断である。呪う者は呪われる者、遮光願望は光を享けるもの悉くによせる嫉妬と憎悪の反作用心理であり、世界を亡ぼすためにはみづから黒死病の死者第一号を志しかねぬ凄まじい悪意もここから生まれるだろう。(後略)