梅田望夫『シリコンバレーから将棋を観る』

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

まず“はじめに―「指さない将棋ファン」宣言”の冒頭に書かれている、

一時代前に比べて私たちは、働いたり勉強したりしなければならない時代が圧倒的に長くなってしまった。好むと好まざるとにかかわらず、仕事や勉強と趣味の両立が難しい時代を、私たちは生きているのだろう。

に深くうなづきながら本書を読み進めました。仕事も勉強も趣味も中途半端なままで日々を過ごしている自分としては耳の痛い言葉でもあるのですが・・・。私が棋士に惹かれるのは、ひとつの道を究めようとしているその姿への憧れが大きな理由となっています。そして、この本を読むと棋士の魅力は求道的なだけではなく、もっと多様で広がりのあることがわかります。なるほど、かつての大山・升田・米長・中原といったように写真で見ただけでも独特のオーラが伝わってくるような強烈なキャラクターは今の棋士には足りないかもしれません。しかし、この本の中で取り上げられている羽生善治佐藤康光深浦康市渡辺明の4人はそれぞれ際立った魅力を持つ人物であり、それを著者はあとがきの中で、

羽生の場合は、科学者のような「真理を求める心」。佐藤は、少年のような「純粋さ」。深浦は、内に秘めたすぐれた「社会性」。そして渡辺は、同時代の世界中の優秀な若者たちにも共通する「戦略性」。

と簡潔な言葉で巧みに描き出しています。詳細については実際に本文を読んで欲しいのですが、この本の素晴らしいところは、将棋を単なる現代社会の隠喩として捉えて必要以上に一般読者におもねったり、世間とは隔絶した一部のファンだけがわかればよいといった立場をとらず、将棋とは現代を生きている私たちに大きな喜びをもたらしてくれるものであることを伝えることに成功している、真の意味で開かれた書物であることでしょう。
例えばこの本には昨年行われた棋聖戦第1局と竜王戦第1局の観戦記こが収録されています。これらは対局日にネットにリアルタイムで掲載された文章が基となっているのですが、一手一手の意味よりも対局場の雰囲気や、両対局者が勝負を通して見ているものの考察に重点が置かれているのが特徴。ここでも“桂の佐藤棋聖、銀の羽生挑戦者”や“渡辺の青、羽生の壮”といった簡潔な言葉による対比が冴えていて(松岡正剛流にいえば見事なミメロギア。ミメロギアについてはこちらを参照してください)、将棋が詳しくない読者でも興味をもって読み進めることができます。
通して読んで私が改めて感じたのは羽生善治の存在の大きさ。将棋界にはこれまで「藤井システム」とか「中座飛車」など棋士の名前が冠された独創的な戦法がいくつか登場しているのですが、意外なことに羽生はそういった画期的な新戦法というのをこれまで編み出していないのですね。しかし、本書の、特に第1章を読めば羽生は根源的なところで将棋を変えた存在なのだということがわかります。羽生の変革がこれまでの常識に囚われない革新的な戦法を生み出す基盤となり、そしてその彼の姿勢は自然と現代社会の象徴となっているのです。
本書には他にも読むべきところがたくさんあり、読者それぞれが様々な示唆を得ることができると思います。私が購入した書店はこの本を将棋欄にしか置いてありませんでしたが、それではもったいないですね。オープン・マインドな精神で書かれた本書はもっと一般的な新刊の棚に置かれるべきだし、それにふさわしい充実した内容をもった書物だと思います。