山下洋輔トリオ『木喰』

木喰(紙ジャケット仕様)

木喰(紙ジャケット仕様)

70年代山下洋輔トリオが残した作品がようやく紙ジャケ・リマスターで登場しました。このトリオの『クレイ』や『フローズン・デイズ』といったアルバムがきっかけでジャズを聴くようになった私としては実にうれしい限りです。
『木喰』はスタジオ・アルバムとしては『ミナのセカンドテーマ』に続く2作目で、当時のメンバーは山下の他にはサックス・中村誠一、ドラムス・森山威男となっております。後年中村に代わって加入する坂田明がもたらした狂騒的なユーモア感覚は見られないものの、ストイックにすら感じられる集中力、緊迫感はこの時期ならではのもの。もちろんトリオが一丸となって突き進むパワーは既に充満しています。スタジオ録音とはいえ、ほぼ一発録りに近いレコーディングであったことが、2曲目「コミュニケーション」の演奏の際のエピソードからもうかがえます。
この曲、中村のテナーが入るのは最初だけで、後半は山下と森山のデュオとなっているのですが、それは予定されたものではありませんでした。山下のソロが一段落した後、なんと中村はテナーを抱えて座り込んでしまったのです。
当時のライナーから引用します。

この日山下洋輔は絶好調にあった。テーマが終わったところで、山下の数フレーズが入る。中村は一瞬、ここで吹きやめて、後半を引き受けようと思ったらしい。ところが、即断の機を失してしまった。「シマッタ!・・・と思ったが、仕方ないから吹き続けて・・・」と中村は口惜しがる。「・・・遂に奪い取られました」

そして中村は座り込み、以後頑なに吹こうとはしなかったそうです。普通ならこういったアクシデントがあれば、テイク2を録りなおすということになるかもしれませんが、そうしなかったところにここでの山下の演奏の充実振りがうかがえます。セロニアス・モンクの名作『モンクス・ミュージック』にも明らかに演奏ミスがあるにもかかわらず収録された曲がありますが、多少のキズがあってもそれを上回る演奏が生じる可能性があるというところが、ジャズのもつ面白さのひとつでしょうね。スタジオの生々しい空気感もパッケージされた、スリリングなアルバムです。