ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス『Flying Saucer 1947』/あがた森魚『タルホロジー』

FLYING SAUCER 1947

FLYING SAUCER 1947

タルホロジー

タルホロジー

細野晴臣あがた森魚の新譜がほぼ同時期に発表されました。両者ともアコースティックを主体とするサウンドで、自作のセルフ・カヴァーを多く含んでいるといった共通点がありますが、それだけに2人の“アルバム”に対するスタンスの違いもはっきり見えてくるように思えます。

細野晴臣にとってアルバムとは“中間報告書”に近いものではないでしょうか。心惹かれる音楽が刻々と変化していく中、アルバム制作時点で最も面白く感じている音を切り取って差し出しているといった印象があります(もちろん根底には変わらないポップスへの愛着が流れているのですが)。今回はカントリー・サウンドですが、去年の立教大学の講演などでは「カリブ海の音楽に再び興味をもってきた」とか「アルゼンチンの音楽が面白い」といった主旨の発言をしていたので、もしYMOの再結成などがなく1年前にソロ・アルバムが完成していたとするならば、久保田麻琴を迎えた今回のあがたのアルバムに近い音になっていたのでは?と思わずにはいられません。良い意味で気ままなところがあるのが細野の魅力のひとつでしょう。ブックレットでは一生この音でいいなんて語っていますが、さて、どんなものか(笑)。何はともあれしばらくはこの快適なグッド・ミュージックに浸っていたいと思います。

一方、あがた森魚もアルバムごとにサウンドは大きく変化していますが、彼のアルバムは毎回コンセプト・アルバムであり、一枚一枚がしっかりとした世界を確立しています。デビュー以来一貫した世界観、美意識が大樹のように根を下ろし、幹を生やしており、そこに季節ごとに実る果実がアルバムとして私たちの元に届けられてくるといったイメージを私は持っています。そのあがたワールドの中でも大きな位置を占めているのが稲垣足穂。直接タルホをテーマとした曲こそ少ないのですが、「タルホロジー」というコンセプトにより、セルフ・カヴァーの楽曲も東京節もタルホの名言「地上とは思い出ならずや」と結びつき、アルバムのブックレットでも書かれているように「宇宙的郷愁」に昇華されてしまうのがあがたならではの力技で、ただ感嘆するしかありません。