佐藤允彦『アポストロフィ』

アポストロフィー

アポストロフィー

もう一枚、完全即興一発録りのピアノ・ソロ・アルバムをとりあげましょう。佐藤允彦が1982年にメールス・ジャズ・フェスティヴァルへ出演したときのライヴ録音です。奔放に弾いているようでいて全体的にはしっかりとした構成力を感じさせるところに、昨日のホッピー神山にも通じるプロデューサー的資質を感じずにはいられません。
もちろん完全即興でアルバムをつくるにはテクニックもさることながら、多かれ少なかれプロデューサー的資質は必要でしょう。乱暴な話ただデタラメに弾いてりゃいいなら私にだってできます(笑)。しかしそれが人に聴かせられるものになるはずはなく、おそらく数分もたたずにインスピレーションが枯渇した(いや、数分も持てば上出来かも?)だらしないものになることも確か。即興に没入する能力のみならず、没入している自分をどこかで俯瞰して見ることのできる能力があればこそ、即興が“作品”となるのではないか、と思います。
ソロで即興を行うことの困難さについて、当の佐藤本人は次のような言葉を残しています。

ソロは「ひとりだから気楽だろう」と思われがちだが、実態は大いに違う。45分間を全くのインプロヴァイズでソロをするのは大変難しいことだ。ひとたびイマジネーションが壁に突き当たると、そこから抜け出す手だては皆無となる。一人でも共演者がいて、互いにインスピレーションをやりとりできる、“開かれた”状態と、自分の中に向ってイメージが求心的に回転する“閉じた”状態とのソロとの間には大きなギャップが存在するのだ。

ではソロでありながら“開かれた”状態にするにはどうすればいいのか。ここで佐藤が取った手段は書を手がかりにするインプロヴィゼーションでした。これは佐藤自身が既に1976年のソロ『観自在』で試みていたことですが、佐藤の伴侶による書をステージ後方に吊り下げて、「字の意味にはとらわれず、墨色、筆勢、余白などを見ながらインプロヴァイズした」のがこのライヴ盤です。具体的にどの曲のどのフレーズがどんな文字に触発されているのかは無論知りようがないのですが、この知的でありながら、エレガントさを失わない演奏は確かに独りよがりではない“開かれた”音楽になっていると私には感じられました。