『西村朗と吉松隆のクラシック大作曲家診断』

西村朗と吉松隆の クラシック大作曲家診断

西村朗と吉松隆の クラシック大作曲家診断

西村朗吉松隆。現代音楽界の中で2人がどのような位置にあるのかは皆目見当がつかないのですが、共に精力的な作曲活動を続け、作品も比較的多くCDとしてリリースされている方々です。これはその2人が縦横無尽に“大先輩”にあたるクラシックの作曲家について語った本。一見気ままにしゃべっているだけのように見えますが読み応えは充分にあります。

まずは“つかみ”としてモーツァルトが取り上げられます。いきなり冒頭から西村が

僕はね、モーツァルトって最大公約数みたいな感じがするね。みんなが嫌わない、その最大の存在がモーツァルト

とか、

モーツァルトを聴いていると気持ちがいいっていうひとは多いけど、僕は、たとえばボロディンに感じるような、ふるえるような共感ってあるかどうかわからないな。そこまでの遺伝子的な色をモーツァルトは持っていない。

と飛ばします(笑)。いきなりモーツァルトボロディンを比較しちゃうんだからねえ。これまであまりその発言に接したことがなかったせいもあり、私がこの本全体を通して最も楽しめたのは西村の嗜好が出てくるところでした。前述のボロディンにはじまり、「ハチャトゥリアンの爆発的な才能には恐れ入るね。」「ムソルグスキーは不完全な超天才」「音楽史上、本当に天才だっていうひとが何人かいるんだけど、ショパンはそのひとりだね。空前絶後。真似はできてもけっしてショパンは超えられない。分析で超えられるのであればだれでも超えているよ」など興味深い発言がそこかしこに出てきます。吉松の発言がつまらないってわけではありませんが、彼の言葉はブログなどであれこれ読んでいるからね。それほど意外性は感じなかったんですよ。

モーツァルトやオペラについて自由に語った前半に対して、後半では「今、作曲家として生きていくとはどのようなことか」という主題が浮かび上がってくるようになっていますが、こちらも面白い。吉松の発言を引用しましょう。

だいたい現代音楽って、従来の伝統のしがらみを壊して自在に新しい音楽を作ろうという革命だったはずでしょう。なのに、気がついてみたら、ハーモニー使っちゃダメ、メロディを歌っちゃダメ、ジャズやロックみたいなリズム重視はダメ、聴衆に媚びるような娯楽性もダメ。これはもうソヴィエト共産主義の末路と同じじゃない!

では、自分達はどうするのか。それについては実際に本書にあたってもらうに如くはないのですが、気楽な語り口の中にある“覚悟”のようなものが伝わってきました。他にもこの本はいろいろ面白いところがたくさんあります。現代日本の作曲家を語った章での黛敏郎の再評価や、各章の節目に出てくるユニークな「診断グラフ」などなど。少々(?)クセのあるクラシック・ガイドとしても、今の作曲家はどのようなことを考えて作品を生み出しているのかを知る資料としても楽しめる一冊です。