Liquid Weeld『racol』

Liquid Weeldの存在を知ったのは、本作のライナーノートも書いている地下生活者さん(id:subterranean)のブログを通してでした。ただ、地下生活者さんの紹介を読んで「これはあまり予備知識を仕入れずに聴いた方がよいのではないか?」と思い、あえてメンバーのブログも読まず、試聴音源も聴かずにアルバムが到着するのを待っていたのです。そして本日ついにアルバムが届いたので早速CDプレーヤーに載せたところなのです。そして・・・

波打ち際・・・陸と海の境界でありながら、決して互いの領域を固定することはなく、絶え間なく揺らぎ続ける場所。もし、たった今聴き終えたばかりのLiquid Weeldのアルバムについて聞かれたとしたら「波打ち際の音楽」だと答えたいと思います。音楽とノイズ・環境音の境界をゆらぎながら、決してどちらにもつなぎとめられることなく、波打ち際で遊ぶ子供のような無邪気さと、精密に音響をコントロールする大人の知恵によって奏でられた音楽―いや、単純に“音”と書いた方が適切かもしれませんが―がこのミニ・アルバムには詰められています。

例えば冒頭の「sea♯11」。電子音に導かれて繊細な音の粒子が戯れるノイズが響き、その後ろでピアノがそっと鳴っているのですが、ノイズがピアノの楽音を破壊してしまうことはなく、ピアノがノイズや電子音を“伴奏”にしてしまうこともありません。両者は同じ比重をその音響の中で与えられていて、そのため聴く者はノイズ・電子音とピアノによる楽音の間をゆらぎ続けることになります。そのゆらぎが題名によって示唆された海の満ち干きに通じていくといえるでしょう。続く「cicvo」では女声のウィスパー・ヴォイスのヴォーカルが聴こえます。カヒミ・カリィの新作『NUNKI』を思わせる曲ですが、カヒミの場合はあくまでも彼女の声が中心にあるのに対し、Liquid Weeldはこれもやはり一緒に響く電子音やパーカッションと同じ位置にあるように配置するのです。
他の曲でも基本的なアプローチは変わりません。エディットされたギター、グリッチ・ノイズ、ドローン、細かいパルスを刻むパーカッションetc。このアルバムで鳴らされる音はどれも皆対等の立場で響きあいます。ある意味中心を欠いた音響といえるかもしれません。しかしアルバムを聴き進めていくうちに聴く者はいつしかスピーカーから流れる音だけではなく、多方向に自分を包み込むサウンド・スケープ全体の響きを感じ取るようになっていくことでしょう。

楽音と非・楽音の波打ち際にそっと佇むLiquid Weeldの音響世界はとてもつつましやかです。けれども決して閉じられたものではありません。そこには遠くから流れてくる海鳴りがあり、足元に微かに伝わる地の鼓動があり、どこからか聞こえる人語のざわめきがあり・・・つまりは世界に向って開かれているのです。その“開かれた親密さ”に個人的には英国パストラル・フォークのヘロンや、ヴァシュティ・バニヤンに通じるものすら感じました。

さて、それでは地下生活者さんのライナーを読もうかな・・・。

Liquid weeldのオフィシャル・サイトは↓

http://www.weeld.net/