高橋悠治『ぼくは12歳』

高橋悠治ソングブック「ぼくは12歳」(紙ジャケット仕様)

高橋悠治ソングブック「ぼくは12歳」(紙ジャケット仕様)

高橋悠治が70年代にコロンビアに残した音源が再発されました。しかも紙ジャケで!そのほとんどが“ピアニスト”としての高橋悠治にスポットを当てたアルバムです。バッハ、クセナキスメシアンといったものから、ベートーヴェンシューマン、さらにはドビュッシーまでと、意外に幅広いレパートリーに驚きました。また、富樫雅彦佐藤允彦といったジャズ・シーンとの交流の記録も貴重なものです。
その中にあって、唯一“作曲家”としての高橋悠治のアルバムが本作です。彼のキャリアの中では異色作かもしれません。しかし、これは現代音楽をあまり聴かない音楽ファンにも訴えるわかりやすさと、それだけに留まらない深い魅力をもった作品となっています。


このアルバムは、12歳9ヶ月で大空に身を投げた少年、岡真史が残した詩から13編を選んで曲をつけたものです。冒頭の「みちでバッタリ」は矢野顕子がアルバム『愛がなくちゃね』でカヴァーしていたもので、私が最初に接した高橋悠治の曲でもあります。聴いてすぐにその童謡のような素朴なメロディーと歌詞に惹かれたことは確かですが、当時は特に歌の背景について深く考えることはなく、折に触れ口ずさむ程度でした。後年詩集「ぼくは12歳」がちくま文庫から出たときになって、ようやく岡真史について知ることができたのです。このアルバムを知ったのはそれから更に数年後のことでした。


彼の詩には世界に対する驚きと希望と恐れが、読者の心にダイレクトに飛び込んでくる言葉で描かれています。このシンプルかつしなやかな言葉に対し、高橋悠治は日本の南の島々の童謡や朝鮮民謡のメロディーをもとに曲をつけていきました。これはこの言葉を一少年の内的独白に留めず、もっと広い地平に開かれたものにしようという意志もあったのではないかと思われます。ヴォーカルに中山千夏を選んだこともこのアルバムの成功の一因で、彼女の少年っぽいまっすぐな歌唱が言葉に余計なバイアス(クラシックぽい、とかジャズっぽいなど)をかけることを防いでいます。ぱっと聴いた限りでは、ちょっと風変わりな曲ばかり並んでいるように聴こえるかもしれませんが、繰り返し聴くうちに忘れがたい印象を残していく名盤。また、ライナーノーツには父親の高史明が録音当時のエピソードを綴っていますが、読んでいて胸を打たれずにはいられません。