清水靖晃&ザ・サキソフォネッツ「北京の秋」

北京の秋

北京の秋

83年作。ストリングスをバックに「夜も昼も」や「4月の想い出」などのスタンダード・ナンバーを吹いているアルバムです。というとチャーリー・パーカークリフォード・ブラウン等の「ウィズ・ストリングス」ものの系譜に連なる作品のように見えますが、そう捉えるのは微妙に座りが悪いように思えます。マライアなどでジャズとロックの境界を自在に往還してきた清水の経歴や、ポリス・ヴィアンの名作をアルバム・タイトルに使ったセンスなどから考えると、私にはこのアルバム、ニルソンの「夜のシュミルソン」に、いや、ブライアン・フェリーの初期のソロ・アルバム「愚かなり、わが恋」「アナザー・タイム、アナザー・プレイス」に近いものを感じるのです。わざと真面目な顔つきで、洒落っ気をひたすら追求してみせた音楽。アレンジやメロディーの美しさもさることながら、その中に感じることのできるフェイクでキッチュな感覚が絶妙のスパイスとなっているのです。
こういった味わいのアルバムはありそうでなかなか無いもの。「北京の秋」から10年後に清水が発表した、やはりストリングスをバックにした「タイム・アンド・アゲイン」は充実した作品でしたが、その魅力はまた異なったところにありました。しかし今年は久々に「北京の秋」的魅力に満ちたアルバムが出たと思います。菊地成孔のアルバム「南米のエリザベス・テイラー」こそがそれです。そう思って改めて「北京の秋」を聴きかえしてみると、冒頭のコール・ポーター・ナンバー「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」のメロディーがどことなくスパンク・ハッピーの切ないバラード「麻酔」に聴こえてくるのでありました。