ブライアン・イーノ&ハロルド・バッド「鏡面界」(ASIN:B000003S2M)

鏡面界

80年作。「アンビエント」という言葉、概念がこれほど一般的なものになるなんて、当時のイーノは考えていたでしょうか。もちろんイーノの前にはジョン・ケージやサティといった先駆者がいた、ということは出来るのですが、「積極的に聴き流す音楽」というコンセプトをポップ・シーンに持ち込んだイーノの功績は大きいと思います。
さて、この「鏡面界」*1は、アンビエント・シリーズとしては「ミュージック・フォ・エアポート」に続く2作目にあたり、同シリーズの中でも屈指の名盤です。アンビエントの前にイーノが運営していたオブスキュア・レーベルでの「ディスクリート・ミュージック」や、アンビエント第1作「ミュージック・フォー・エアポート」ではテープによる反復が基調となっていましたが、ここでは静かに始まり静かに消えていく、雲のように不定形な音楽が流れています。
このアルバムのもう一方の主人公である、ハロルド・バッドはLA生まれの音楽家で、彼自身の言葉でいえば「Radical Simplisity」といった音楽を追求している人です。そのバッドが演奏するアコースティック・ピアノ、エレクトリック・ピアノをイーノがトリートメントするという手法で生み出されたのが本作なのですが、「聴き流せ」といわれても困ってしまうくらい美しい、大気に溶け込んでいくような響きに満ちています。柔らかなアルペジオと、奏でるというより置きにいってるという方がふさわしい点描的な音、時にうっすらと浮かび上がる旋律線を生み出すバッドのピアノの音。イーノはときにはその輪郭線をぼやかせたり、醸し出される空気感をエレクトロニクスで形にしていきます。そして聴く者はいつしかスピーカーから流れてくる音のみならず、周囲の環境音も取り込まれた、音響的磁場に佇むことになるのです。
もし今この作品が発表されたら、「癒し系」として取り上げられるかもしれません。また、その響きの美しさから「耽美的」と呼ばれることもあるかもしれないでしょう。けれどもこの音楽は、表面的な癒しとか、美に溺れるといったところからは遥かに遠いところにあるもの。聴こえてくる音に何かを見出すのは私達自身。音楽自体はあくまで非人情にアブストラクトな響きの戯れを織り成しているだけなのです。だからこそ20年以上過ぎてもこの音楽の魅力は変わらずにいるといえるでしょう。

*1:原題は「The Plateaux of Mirror」。見事な邦題