ジミー・スコット「ホールディング・バック・ジ・イヤーズ」(ASIN:B00005GFVQ)

ジミー・スコット


98年にこのアルバムがリリースされたとき、渡辺亨がミュージック・マガジン誌の輸入盤レビューで取り上げたのを読んで、興味を持ってあちこち探したものです。そのときはどこにも見当たらず、そもそもジミー・スコットの他のアルバムもなかったものでした。ところが2年後、NHKで放映されたドキュメンタリー番組のせいもあってあちこちの店で彼のコーナーができるようになったのでこのアルバムはもちろん、その他の代表作も容易に入手できるようになり、ようやく渇きをいやした気分になったものでした。今年はついに長年お蔵入りになっていた、幻のアルバム「フォーリング・ラヴ・イズ・ワンダフル」までリリースされたのですから、当時とは隔世の感があります。


本作で目を引くのは、やはりその収録曲の大半がロック、ポップス系の楽曲であることでしょう。ボーイ・ジョージクライング・ゲーム」、ジョン・レノン「ジェラス・ガイ」、シンプリー・レッド「ホールディング・バック・ジ・イヤーズ」、エルヴィス・コステロ「オールモスト・ブルー」、ブライアン・フェリー「スレイヴ・トゥ・ラヴ」、プリンス作曲で、シニード・オコナーがヒットさせた「ナッシング・コンペアーズ・2U」、エルトン・ジョン「ソーリー・シームス・トゥ・ビー・ザ・ハーデスト・ワールド」といった多彩な選曲で、これらをジミー・スコットはあの一度耳にしたら決して忘れられない声で噛み締めるように歌っていきます。


簡単にジミー・スコットの経歴をおさらいしておくと、生まれたのは1925年。40年代なかばから既にライオネル・ハンプトンの楽団で音楽活動を始めていました。遺伝によるホルモンの欠如のため、身長も伸びず、声変わりもしなかった彼のハイトーン・ヴォイスは注目を集めます。しかし独立したジミーはレコード会社と不利な条件での契約を結び、不遇な時代を過します。絶頂期に録音されたアルバムも日の目を見ることがなく、いつしかシーンから消えていきました。そんな彼の人生が好転したのは91年。彼を長年支持していたドグ・ポーマスの葬式のとき歌った「サムワン・トゥー・ウォッチ・オーヴァー・ミー」を聴いたサイアー・レコードの社長が契約を申し出たのです。以降のジミーは順調に良質なアルバムをリリース。「ツイン・ピークス」に出演したり、ルー・リードと共演したりする活動でロック・ファンからも徐々に注目を集めるようになっていったのでした。


英語のヒアリングの教材にも使われる程、ほとんどの曲をスローテンポで歌うジミー・スコットの歌唱は、曲の中に込められている悲哀の感情や孤独の影をくっきりと浮かび上がらせていきます。それは原曲がロックであっても同じこと。ブライアン・フェリーの「スレイヴ・トゥ・ラヴ」がこんなにも切ない歌だったことをこのアルバムで初めて知りました。圧巻ともいえるのは「ナッシング・コンペアーズ・2U」。淡々と歌っているのですが、その底には深い哀しみと美しさが満ちていて、いつ聴いても胸をかきむしりたくなるような気持ちになります。

「ジミーが曲の最後のノートを歌い終える時、われわれは彼の歌のない、愛らしくもなく、情熱的でもない世界に引き降ろされてしまう。そしてどうかもう一度ジミーの歌を聴いて、もうちょっとだけハイな気分にさせて欲しいと望むことになる」
ルー・リード