スービン・メータ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団『マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》』

マーラー:交響曲第2番「復活」

マーラー:交響曲第2番「復活」

これは思い出の一枚です。私がクラシックを意識的に聴き始めたのは中学生の時でしたが、ちょうどその頃マーラーがブームになっていたんですね。当時はベートーヴェンドビュッシーくらいしか知らなかった私の耳にも「なんだかマーラーというのがすごいらしい」という情報がどこからともなく入ってきましたが、何という曲があるのかすら知らない状態だったのです。そんなときいつも良くしてくれた親戚が「クラシックが好きらしいけど、何か買ってあげようか」と言ってきました。そこで渡りに船とばかりに「なんでもいいからマーラーをお願いします」と頼んだところ、送られてきたのがこの演奏が収録されたカセット・テープだったのです。親戚の方もクラシックに詳しいわけではないので、たまたま目についたのを買ってくださったのだと思うのですが、最初に接したマーラーがこの演奏だったことは幸運でした。全盛時のメータがウィーン・フィルと堂々と渡り合った、緊張感漲る、迫力ある名演です。第一楽章冒頭の激しい低弦の響き、80分を超える長大な規模、起伏の多い劇的な構成、最後に地の底から湧きあがってくるように登場する合唱・・・何から何まで初体験の衝撃ですっかり打ちのめされました。その後しばらくマーラーに夢中になった日々が続いたものです。現在の私にとって、最も好きなマーラー交響曲は第9番ですが、この曲、この演奏を聴いたときの衝撃は生涯忘れることはないでしょう。
今になってみると、この曲にはマーラーの良いところと悪いところがどちらもたっぷり含まれていると思います。オーケストラが咆哮するところは安い劇伴みたいに響くし、終楽章は拡げまくった風呂敷をなんとかたたもうと四苦八苦している様子が見て取れるよう。その一方で、マーラーならではの甘美な旋律もそこかしこに聴かれるし、同時期に作曲していた歌曲集「子供の不思議な角笛」第6曲「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」を転用した第3楽章は、後にルチアーノ・ベリオが「シンフォニア」に引用したこともあり(確か中沢新一が著作「虹の理論」の中でこの辺りのことを取り上げていた記憶があるます。今度確かめてみようっと)、作品と引用という問題について考えさせられたりもします。しかし何より素晴らしいのは、その第3楽章から第4楽章の、これも「子供の不思議な角笛」から転用された「原光」につながるところで、前の楽章から切れ目無くアルトの独唱が入ってくる瞬間は背筋がゾクッとさせられる美しさがあります。この瞬間のためだけでもこの曲を聴く価値があると言い切りたいくらいです。