細野晴臣『omni Sight Seeing』

omni Sight Seeing

omni Sight Seeing

細野晴臣の代表作の一枚。この名盤が今まで入手困難だったのが信じられないのですが、ようやくリマスターされて再発されました。オリジナルが発表された1989年当時、私は大学生で男声合唱のサークルに所属していたのですが、発売日に大学の生協で購入し、そのままサークルへ。休憩時間に練習場にあったステレオにセットして大音量で流しました。それまでブラームスのリートを歌っていた直後に「エサシ」の“♪かもぉめぇ〜”がいきなり鳴り響いたのですからインパクトがありましたね(笑)。「うわっ、なんですか、これ。細野さんですか!おお〜」と感激してやってきたのが2名程で、残りの人は「ま〜た変なのをかけて・・・」(以前にブルガリアン・ヴォイスやトッド・ラングレン『アカペラ』などを流した前科あり)と呆れていたのを覚えています。
それはさておき、おりしもワールド・ミュージック・ブームだった時期に発表された本作ですが、今回新たに付されたライナー・ノーツにもあるように、いわゆるワールド・ミュージックとは異なる立ち位置にあったのが大きな特徴です。当時のワールド・ミュージックは例えばシェフ・ハレド『クッシェ』やサリフ・ケイタ『ソロ』のような“辺境の音楽と西洋のデジタル・ビートの激突”的なものが主流だった印象があるのですが(特にフランス経由のものがそうだった)、時空を越えた観光、というコンセプトで制作されたこのアルバムの音には攻撃性というものがありません。乾いた音像の中で日本民謡からデューク・エリントンアンビエント、ライ、果てはアシッド・ハウスまでが涼やかに、軽やかに、ユーモラスに鳴り響く様は当時も、そして今も特異なものといえるでしょう。今回坂本龍一の『NEO GEO』も再発されましたが、こちらは正しく“辺境の音楽と西洋のデジタル・ビートの激突”の方法論でつくられたワールド・ミュージックの王道といえるものでタイトルからして挑発的な佇まいがありますね。この2枚を聴き比べると二人の資質の違いというのがはっきり分かるように思えます。