鈴木慶一『ヘイト船長とラヴ航海士』

ヘイト船長とラヴ航海士~鈴木慶一 Produced by 曽我部恵一~

ヘイト船長とラヴ航海士~鈴木慶一 Produced by 曽我部恵一~

『SUZUKI白書』以来となる久々のソロ・アルバム。複数プロデューサー制を敷いた『SUZUKI白書』は私にとっては「傑作になりそこねたアルバム」で、印象に残る曲はいくつかあったけど、他人がプロデュースをてがけた楽曲のサウンド・プロダクションに不満が残り(「レフト・バンク」のデヴィッド・ベッドフォードは例外)、なんで全曲自分で仕上げなかったのだろうと歯噛みする思いが残りました。確かミュージック・マガジン誌のクロス・レヴューで高橋健太郎が「好きなことをだらだらたれ流したのを作ればいいのに」といった主旨のことを書いていた記憶がありますが、その言葉にとても共感したことを覚えています。


それから幾年。このアルバムも本人のプロデュースではなく曽我部恵一が担当しています。正直聴く前にそのことに微かな不安もありましたが、こちらは見事に吉と出ました。ややもすると一曲の中で複雑な展開をみせがちな近年の慶一を曲単位ではコンパクトにまとめて、メロディーの良さを際立たせ、代わりにアルバム全体を多様な展開をもつサウンド・コラージュにしたてたのです。個人的にはあがた森魚の『日本少年2000系』を連想しました(そういえば、このアルバムは慶一のプロデュースでしたね)。ムーンライダーズの近作『MOON Over the ROSEBUD』でも自分達のことを船乗りにみたてた曲がありましたが、あちらは6人のツワモノが未知の大海原へ向っていくイメージだったのに対し、こちらは若いが頼りになる相棒と共に自らのインナー・スペースに拡がる無意識の海を漂っている印象があります。全編にまぶされているノイズの粒子は視界をさえぎる霧のよう。ふいに視界が拓けると、そこにはスカンピンの幻影が浮かんでいたり、はちみつぱいの大岩がそびえていたりする。そういった数々の関門をあるときは巧みに、あるときは座礁しかけながらも潜り抜けていった航海日誌としてのような音楽。言葉、音、慶一自身の歴史と聴く者それぞれの歴史が46分の中で重層的に絡みあい、聴き返す度に新たな旅へ人を誘う名盤です。