『西脇順三郎詩集』
- 作者: 那珂太郎編
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/11/18
- メディア: 文庫
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試行錯誤のうえ、詩集を数冊パラパラとめくりながら聴くのが一番よろし、という結論になりました。それも現代詩じゃなくて近代詩がいい。中原中也や三好達治もいいし、音楽的な調べに満ちている北原白秋や、「月下の一群」も乙なものですが、今回は西脇順三郎を取り上げてみました。私が西脇順三郎に初めて接したのは中学のときで、その頃はわけもわからず「ambarvalia」、特に前半の「ギリシア的抒情詩」に惹かれていたのですが、今は晩年の、散歩しながら連想の赴くまま独吟連句をやっているといった趣の詩にきままに目を通すのが面白いです。
いつもこの季節になると読み返すのは「近代の寓話」に収められた「冬の日」。
或る荒れはてた季節
果てしない心の地平を
さまよい歩いて
さんざしの生垣をめぐらす村へ
迷いこんだ
乞食が犬を煮る焚火から
紫の雲がたなびいている
夏の終りに薔薇の歌を歌った
男が心の破滅を歎いている
実をとるひよどりは語らない
この村でラムプをつけて勉強するのだ。
「ミルトンのように勉強するんだ」と
大学総長らしい天使がささやく。
だが梨のような花が藪に咲く頃まで
猟人や釣人と将棋をさしてしまった。
すべてを失った今宵こそ
ささげたい
生垣をめぐり蝶と戯れる人にため
迷って来る魚狗と人間のため
はてしない女のため
この冬の日のために
高楼のような柄の長いコップに
さんざしの実と涙を入れて。
どうも横書きでは雰囲気がいまひとつですがしょうがないですね。「この村でラムプを〜将棋をさしてしまった」のくだりにうっすらと漂うユーモアが一番好きな箇所なのですが、そこからさっと転調して抒情的に締めくくるのが詩人の巧みな技ですね。
と、ここまでとある方のセレクトを聴きながら書いていたのですが、気がつけばいつのまにか10曲目に・・・・。