保坂和志『羽生 最善手を見つけ出す思考法』

羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)

羽生―「最善手」を見つけ出す思考法 (知恵の森文庫)

原著は10年前に出ているのですが文庫になって初めて読みました。羽生三冠については将棋界に止まらず、様々な分野の人が論じたり語ったりしていますが、この本は羽生の思考法に真っ向から取り組み、「人間がものを考えるとはどういうことか」を平易な言葉で追求した名著だと思います。
この本の中で、「その局面で最も善い手」である最善手は従来局後に判断されるものとしています。対局者の「ねらい」と「対応」が正しかったのか、それとも無理だったのかを一局が終了してから「あれは良い手だった」とか「あそこはこう指すべきだった」と振り返り検討されることで判断される相対的なものが「最善手」であるという考え方です。しかし、保坂は羽生のイメージしている最善手とは「一局の持つ法則を実現させていく指し手」であると述べます。そして、棋士の「ねらい」を超えた深いところに「一局の持つ法則」があるという思考は、「言葉があるから世界が<世界>としてはじめて人間にとって意味を持つようになった」とする現代哲学の言語観や「人間は進化の頂点に立つ生き物ではなくて、遺伝子が自分自身を生きながらえさせるために、環境に合わせて形を変えていった多様性の、一つの形態にすぎない」という現代科学の生物観に通ずるものがあると指摘するのです。保坂が単に羽生善治という存在に興味本位に惹かれてこの本を著したわけではないことは、ここから充分に窺えることができるでしょう。後年の保坂の著書「世界を肯定する哲学」に共通する部分も多いと思います。その他の章も「読み」についての考察や、コンピューターの将棋についての読み応えのある考察が展開されていきます。中でも後者のテーマは、今年になって渡辺竜王が将棋ソフト「ボナンザ」の挑戦を退けたことが話題になったこともあり、とても興味深く読むことができます。10年前の文章でも決して古くなっていません。