3/4伊福部昭音楽祭@サントリーホール

昨年亡くなった伊福部昭を偲んで、今年は各地で伊福部の曲が演奏されていますが、そのひとつの集大成となる「伊福部昭音楽祭」がサントリーホールで開催されました。全体は3部にわかれ、4時間以上にわたる長丁場でしたがたいへん聴き応えのある演奏会でした。片山杜秀と高島由紀子が総合司会を務め、簡単な曲紹介や演奏者、ゲストによるインタビューを交えながらステージは進行していきました。


第1部は伊福部昭とヴィルトーゾ「音楽の生まれる時」と題され、生前の伊福部と親交が深かった演奏家による作品が演奏されました。
まず野坂恵子、小宮瑞代による「二十五絃筝曲甲乙奏合 交響譚詩」(2001)。管弦楽曲を二十五絃筝2台用に編曲した作品です。2つのバラードから構成されているのですが、伊福部らしいリズミックな第1のバラードでは、演奏の妙技は楽しめたものの、「これならオケで聴きたいなあ」と思ってしまったのが正直なところです。しかし「津軽じょんがら節」から着想されたメロディによる第2バラードは余計なことを考えずに筝が織り成す響きに身をゆだねることができました。
続いて藍川由美の歌と高田みどりのティンパニによる歌曲「アイヌ叙事詩に依る対話体牧歌」。これは力のこもった名演でした。アイヌの民族衣装をまとってステージに登場してきた2人。藍川の演劇的な歌唱はアイヌ語がわからない聴衆をもアイヌの神話世界にひきこんでいきます。そして雷が落ちるかのような激しい響きでティンパニを打ち鳴らす高田のすさまじいパフォーマンス。歌の伴奏がティンパニだけという特異な形態をもつ曲ですが、この日の2人の演奏は充分にその特異な編成に説得力をもたせていたと思います。


第2部は映画の世界「映画人、伊福部昭を語る」。人口に膾炙した「ゴジラ」をはじめとして、300本以上の映画音楽を手がけた伊福部の業績にスポットを当てたものです。演奏は日本フィルハーモニー交響楽団。指揮は本名徹次
まずは伊福部ファンにならもうおなじみといっていい「SF交響ファンタジー第1番」からスタート。トロンボーンの重低音がゴジラ登場の動機を吹き鳴らすと、ステージ上部に設置されたスクリーンにゴジラの映像が。そう、第2部は映像に生演奏を合わせていくという試みがなされたのです。「SF交響ファンタジー」は東宝のCの音楽をメドレーにしたもので、「ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「宇宙大戦争」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「三大怪獣地球最大の決戦」と続き、最後は「宇宙大戦争」と「怪獣総進撃」の行進曲で終わるもの。わたしはぎりぎりでこの辺りの映画に懐かしさを感じる世代なので、スクリーンに映るゴジララドンキングギドラ、バラゴンといった怪獣達にすっかり見入ってしまいました。
続いて伊福部が初めて手がけた映画音楽である「銀嶺の果て」からタイトル・クレジットとスキーのシーン。ここで特筆すべきはスキーのシーンの音楽です。快活な音楽を期待していた谷口監督でしたが、伊福部が提示した音楽はコール・アングレ独奏による哀愁のある旋律でした。これを気に入らない谷口監督と伊福部は現場で激しく論争したそうで、このことによって「監督と喧嘩をする作曲家」として映画界で有名になったとか。
私は映画全編を見ていないので軽々しいことはいえないのですが、この日見た限りでは、映像と音楽のコントラストが独特の効果を挙げていたように思えました。
若き日の勝新太郎が登場した「座頭市物語」、「ビルマの竪琴」と続いた後で、第2部の目玉であるアニメ「わんぱく王子の大蛇退治」より“アメノウズメの舞”が演奏されました。この部分の音楽はディズニー「ファンタジア」さながらに映像のシチュエーションにあわせて音楽がつけられたそうです。なかなか可愛い絵柄で楽しめたのですが、残念ながら生演奏で画面の動きに合わせるのはやはり困難と見えて、若干ずれが生じていました(この後ゲストで登場した高畑勲も「ずれてましたけど・・・」とちょっと残念そうに語っていました)。まあ、これはしょうがないですね。そして最後に東宝のSF怪獣映画音楽から3つの行進曲を吹奏楽用に編曲した「バンドのためのゴジラ・マーチ」を弟子の和田薫が再びオーケストラ用に編曲した(ややこしい・・・・)、「オーケストラのための特撮大行進」で終了。


そして第3部は管弦楽の響「大楽必易」。大楽必易とは伊福部が自己の創作立場を話すときに好んで引用した、司馬遷の「楽書」にある「大礼必簡大楽必易」からの言葉です。意味は“優れた礼節は必ず簡略なものであり、優れた音楽は必ず平明で理解しやすいものである”というもの。土着的な強烈なリズムの反復と、汎ユーラシア的なスケールの大きいメロディが伊福部音楽の大きな特徴だと思いますが、伊福部は生涯この作風を貫き通しました。そのため12音音楽など、前衛的手法が興隆していた1950年代には、彼の音楽は弟子にさえ「いまどき、このような音楽を書いていていいのですか」と心配されたこともあるくらい「時代遅れ」なものとして現代音楽界には映っていたようです。芥川也寸志黛敏郎をはじめとした多くの作曲家を育て、名著「管弦楽法」を著したこともある伊福部ですから、書こうと思えば前衛的手法で作曲することもできたことでしょう。しかし、彼はあくまで自分が信じた道を歩みました。パンフレットに寄せられた藍川由美の文章で伊福部の次の言葉が紹介されていました。

戦後は前衛的な音楽がずいぶん流行りました。しかし、新しいスタイルはいつかは古くなる。そのたびに新しいものを求め、あちこちに目を移して動き回っていたら、一生に一度も“正時”を打てないまま死ぬことになりかねません。だから私は、動かない時計でいいんです。動かない時計は半日に一度、必ず“正時”を打ちます。

いまだに「あちこちに目を移して動き回って」いる私にとっては耳に痛い言葉ですが・・・。

そして80年代以降、若い人々を中心に再評価され脚光をあびるようになったのです(以前にも書きましたが、STUDIO VOICE誌が日本の音楽を特集したとき、現代音楽の部門で大きく取り上げられたのは武満ではなく伊福部でした)。そんな彼の音楽観を集大成した曲が2曲取り上げられました。
まずは処女作「ピアノ組曲」をオーケストラ用に編曲した「日本組曲」。日本の祭りのリズムが雄大に響き渡ります。そして伊福部の代表作のひとつである3楽章の交響曲シンフォニア・タプカーラ」。日フィルの演奏はやや粗いところもあったのですが、それ以上にこの音楽の力を聴衆に絶対届けるんだ、という気迫に満ち満ちた力演でした。雄渾な1楽章が終了したとき、客席から思わず拍手がこぼれたほどの盛り上がり。そして破竹の勢いでたたみかける第3楽章はオーケストラの音圧に圧倒されっぱなしでした。アンコールは3楽章の終結部をもう一度。


作曲家の多面的な姿を伝えようとするスタッフの意気込みが見事に結実した演奏会でした。うれしいことに伊福部昭音楽祭はこれで完結するのではなく、毎年継続してやっていくそうです。来年は3月16日に杉並公会堂で行う予定とか。今回は惜しくも取り上げられなかった協奏曲(「リトミカ・オスティナータ」とかヴァイオリン協奏曲など)をやってくれたらいいですね。