鈴木博文『三文楽士』

三文楽士

1993年発表の6枚目となるソロ・アルバム。このころの鈴木博文は毎年律儀にアルバムを発表していて、まるで普段は疎遠にしている叔父がよこす、年に一度の手紙を受け取るような気持ちでそれに耳傾けていたものです。正直、3枚目の『石鹼』以降は新鮮さに欠けていたんだけど、ムーンライダーズ本体が沈黙を続けていた間でも休まず届けられた彼の歌声、ことばは本当にありがたかったものでした。そんな中、久々に聴いていて新鮮さを感じたのが今回とりあげた『三文楽士』です。


このアルバムが発表されたときは既にムーンライダーズは沈黙を破って活動を再開していました。ただし、当時のライダーズのアルバムに収められていた博文の曲にはどこか「よそ行き」の印象があります。ムーンライダーズ用につくってみました、というような。博文の曲にそんな印象を受けるのは後にも先にもこの時期(東芝EMI時代)だけなのですが、私がこの『三文楽士』にこれまでのソロとは異なる色合いを感じたことには、こうしたことも背景にあったのかもしれません。


「雨の庭」から終曲「21世紀の大馬鹿者」に至る9曲の全編にひりつくような緊張感があります。歌詞に雨や水のイメージが多用されているのもこのアルバムの大きな特徴のひとつですが、雨に煙った情景の中、彼の声やギターが静かに焔を燃やしている。俺は俺の歌をやるだけ、という気迫がひしと伝わってくるのです。そしてこれ以降、再び博文の曲はムーンライダーズでもソロでも「オレ流」を貫き通すようになったと私は思います。そういった意味で、このアルバムは彼のソロキャリアの中でも重要な位置にある作品といえるのではないでしょうか。