岡田暁生「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

クラシックの歴史を新書のサイズで書いた本―というと無味乾燥で教科書的な記述が続いているんじゃないか、もしくは作曲家のエピソードを連ねただけじゃないのか、と思いがちですが、これは最近読んだ音楽関係の本の中でも一、二を争う程面白かったです。既に各所で高い評価を得ている本ですがそれも納得ですね。


この本が成功した原因として、今、音楽の「歴史」を語るとはどういうことか、ということに著者が意識的であったことが挙げられるでしょう。現在の西洋音楽はもはや川ではなく、混沌とした海であるという認識を踏まえて、著者は「まえがき」でこの本の目的を以下のように述べます。

本書の目的は、西洋芸術音楽の歴史をこうした川の物語として語ることにある。(中略)この本の主役は西洋音楽の「歴史」であって、個々の作曲家や作品ではない。ごく一般的な読者を想定して、可能な限り一気に読み通せる音楽史を目指し、専門用語などの細部には極力立ち入らない。そして何より、中世から現代に至る歴史を、「私」という一人称で語ることを恐れない(後略)

このような明確な方針があればこそ、新書のサイズを逆手にとったコンパクトかつオリジナリティのある記述が可能になったと思います。そして無闇にクラシックやその作曲家達をまつりあげない姿勢が本書をクラシック以外の音楽ファンにとっても興味深く読み通せるものにしています。


本文では、まず取り扱う対象となる「西洋芸術音楽」について明快な規定がなされます。

端的にいえばそれは、「楽譜として設計された音楽」のことである。

そして、近代以前には紙は非常に高価であり、識字率も低かったことから第2の定義として

主として西洋社会の知的エリート(紙を所有して字が読める階級)によって支えられてきた音楽のことなのだ

という言葉が述べられます。


以降、まだ西洋音楽が一民族音楽だった(楽譜を持たなかった)時代のグレゴリオ聖歌に始まり、ノートルダム学派、ルネサンスバロック、古典派、ロマン派、世紀末、そして20世紀に至る西洋音楽の歴史が綴られていきます。「川」としての物語の連続性と、それぞれの時代の局面で音楽の構造や人々の感受性がどう変化していったのかが簡潔に述べられており、いろいろ気がつかされることが多いです。これまであまり聴いていなかった時代の音楽を聴いてみよう、という気持ちにさせられるのは、その音楽の概念が現在私たちが抱いている概念とどこが異なるかをはっきりと説明してくれるから。優秀な録音も適宜紹介されており、ある意味この本はディスク・ガイドとしても優れているのです。


そして「川」から混沌とした「海」となった20世紀後半以降の音楽状況についての考察も興味深い。
20世紀後半においては、芸術音楽が「公式文化から一種のサブカルチャーヘ」変貌した、という記述や、

ポピュラー音楽こそ、「感動させる音楽」としてのロマン派の、20世紀以後における忠実な継承者である

という記述などはポップ・ミュージックの一ファンとしていろいろ考えさせられます。

もちろん、著者の意見に全て同意できることはなく、ときに異論を唱えたくなるときもあるのですが、そういったことを含めて著者と読者で有意義な対話ができる本となっています。ジャンルを問わず、音楽の歴史、成り立ちに興味がある方にお勧めしたい一冊ですね。