高橋悠治「音の静寂 静寂の音」

音の静寂 静寂の音

音の静寂 静寂の音

演奏家としての高橋悠治や、彼の作品に好感をもてない方でもここに書かれている言葉には打たれるところが多いのではないかと思われます。
インターネットに断続的に発表された文章をまとめて編まれたこの本は、そのほとんどが改行を多用した、詩のような形態となっているのが特徴です。ヨーロッパ中心主義の思考の枠を離れて音楽を考える/創りあげるとはどのようなことなのか、音とは、聴くこととは・・・といった問いがゆるやかな思考の流れを形作り、読者もその流れに誘われます。詩のよう、どころか完全に詩になっているとしかいえないような美しい部分も多く、例えば


池の水面にさかさまに映る木々の影
水がゆれると影は散らばり砕ける
影は水面を染めている
影が水をうごかすことはない
(音の静寂 静寂の音、冒頭部分)


という言葉を目にしたとき、私が連想したのは、


存在はみな反射のゆらめきの
世界へ
寺院の鐘は水の中になり
さかさの尖塔に
うぐいが走り
ひつじぐさが花咲く
雲の野原が
静かに動いている
西脇順三郎「えてるにたす」より)


といった詩句だったりしたのです。
詩の美しさと思索の深さを併せ持ったこの本は、音と自分との関係を考えるときの、よき道標になってくれる書物になりそうです。じっくり味読していきたいですね。最後に再び、バッハについて触れている箇所を引用。

バッハの曲のどれかを鍵盤の上でためしてみる
完成されたものとしてではなく
発明された過去としてではなく
未完のものとして
発見のプロセスとして
確信にみちたテンポや なめらかなフレーズを捨てて
バッハにカツラを投げつけられたオルガン弾きのように
たどたどしく まがりくねって