シンフォニック・ブライアン・ウィルソン

シンフォニック・ブライアン・ウィルソン

ビーチ・ボーイズのデビュー当初からブライアン・ウィルソンと親交のあったゲイリー・アッシャーが制作した、オーケストラによるブライアン・ウィルソン作品集。1970年に制作されながらもなぜかお蔵入り。2001年になってようやく陽の目を見たアルバムですが、ブライアンのファンなら必携といっていいほど優れた、美しい作品です。取り上げられた作品は「ペット・サウンズ」からの曲を中心に、「プリーズ・レット・ミー・ワンダー」や「太陽の暖かさ」といった初期の佳曲や「フレンズ」からもタイトル曲と「ビージー・ドゥー・イン・ナッシン」を収録。もちろん、ゲイリーとブライアンが2人で作り上げた「イン・マイ・ルーム」も取り上げられています。


1970年といえば、ブライアンは既に精神的に不調な状態であり、ビーチ・ボーイズ自体も「サンフラワー」という傑作を生み出したものの、完全に時代遅れの存在となっておりセールス的には不振を極めた時代。ゲイリーはそんなブライアンを励ますためにこの作品をつくったと言われています。エコーを抑え目にしたストリングスや、ハープシコードを駆使したアレンジ。ポップな味わいを失わないまま、ラウンジっぽくなりすぎることもクラシカルになりすぎることもなく、原曲の美しさを別の角度から照らし出している、繰り返して聴くに足るアルバムになっています。最後の「イン・マイ・ルーム」がちょっと仰々しいのですが、これも充分許容範囲内でしょう。


熱心なビーチ・ボーイズのファンには周知のことですが、ゲイリーはブライアンの父、マリー・ウィルソンと折り合いが悪くなり「死んだほうがましだ。ビーチ・ボーイズとは今後一切関係を持つな」と罵られて一方的に絶縁させられた経緯があります。それでも2人の友情は最後まで続いていました。90年にゲイリーは51歳で死去するのですが、死の一ヶ月前、ゲイリーの病室を訪れたブライアンは「ビー・マイ・ベイビー」を5回続けてかけ、ゲイリーの手をとって泣いたというエピソードが残っています。「シンフォニック・ブライアン・ウィルソン」には「スマイリー・スマイル」からの曲が3曲メドレーで取り上げられていますが、ブライアンがようやく完成させた「スマイル」の響きを天国のゲイリーは喜んで聴いているだろうか、などど感傷的な思いについふけってしまう秋の宵なのでした。