録音・複製テクノロジーと音楽聴取体験の多層化-オーディオ趣味とDJ文化を中心に-(情報元:音楽配信メモ)

http://homepage3.nifty.com/MASUDA/ronbun/audio.html

論文なのでやや固い文章ですが、興味深く読みました。共感するところ多し。

音楽聴取体験の多層化は,音楽の制作過程の多層化と対応している。生演奏に依拠する音楽においては,音は楽器が奏でられるその瞬間にしか存在し得なかった。まさにその瞬間にこそ「音楽が完成した」と見なされるがゆえに,「原音」=「生演奏」という理念が生起する。しかし録音とそれを素材とした編集作業によって幾重にも手が加えられた音楽においては,現実の音の発生源が「音楽を作り出すもの」と見なされるとは限らないばかりか,どの時点をもって「音楽の完成」と見なすかも曖昧になる。ミュジック・コンクレートのようなテープ編集にもとづいた音楽は,発表された録音物をもって「作品」と見なされるが,DJにとってはそれすらも素材として扱い,そこから新たな音楽を作り出すこともできる。そしてその録音物がどのような場で,どのようなオーディオ装置によって再生されるかによっても,聴き手の前に現れる音楽は多彩に姿を変え,「原音」が確定することはない。(中略) このような音楽環境にあって,聴き手にとって音楽の響きは,いくつもの「音楽として作られたもの」が折り重なった層として現前する。そこから何を「音楽」として汲み取るかは,聴き手の中で経験的に形成された想像力に左右される。そこに多くの層があることを経験的に理解している聴き手は,アクースマティックな音楽の中から「音楽として作られたもの」の枠組を自在にフレーミングしながら,複数の音楽の層を聴きとる。「原音」というイデアだけを追求する聴取も(そのようなイデアを実際に「耳にする」ことは不可能であるにせよ)また可能ではあるが,それは録音音楽の聴取において可能な,多層的なモードのうちの一つでしかない。
(「結び」より)