松田美緒+ 沢田穣治 with ストリングス『カンタ・ジョビン』

カンタ・ジョビン

カンタ・ジョビン

最近の就寝音楽。“ジョビンを歌う”という企画自体はありふれたものですが、これはボサ・ノヴァによるカヴァーではありません。ボサ・ノヴァに囚われず、20世紀の最高の作曲家のひとりとしてのジョビンの魅力を浮き彫りにしようとした試みです。
ボサ・ノヴァに囚われずに、といっても様々なアプローチがあるでしょう。ロックやクラブ・ミュージックのスタイルでやる、という手段もありえます。しかし、ここで松田美緒と沢田穣治が選んだ方法は、サンバ・カンサォンでした。沢田の手による瀟洒なストリング・アレンジが、大人の落ち着きと少女のようなコケティッシュさを併せ持つ松田のヴォーカルを包み込み、この上なく優美な音楽を生み出しています。
サンバ・カンサォンはボサ・ノヴァ登場前夜に興隆していたスタイル。乱暴な要約になりますが、ボサ・ノヴァはサンバ・カンサォンのメロドラマティックな表現へ潜在的な不満を抱いていた若者達が生み出したものでした。しかし、その一方でシルヴィア・テリスやマイーザのような新しい世代のサンバ・カンサォンの歌い手が初期のボサ・ノヴァに大きな影響を与えたのも事実です。そうすると、この松田美緒と沢田穣治の試みは、ジョビンの音楽を改めてブラジル音楽の大きな流れの中で捉えなおしたものと考えることもできるかもしれません。さらにそれを超えて、冒頭に述べたように、20世紀音楽の最良の成果のひとつとしてのジョビンというところまで、聴く者のイマジネーションの翼を羽ばたかせる力も持っているように思います。
私がこのアルバムを聴いて思い浮かべたのは、ニルソンの『夜のシュミルソン』でした。ロック全盛の時代にニルソンがあえてスタンダード・ナンバーをオーケストラをバックに甘く歌い上げた傑作です。ニルソンにあるシニカルな苦みを含んだノスタルジックな感覚は『カンタ・ジョビン』にはありませんが、自分の中ではあえて、この作品を「21世紀の『夜のシュミルソン』」と呼びたい気持ちです。