『アート・オブ・トイピアノ マーガレット・レン・タンの世界』

楽しい刺激に満ちたDVDを観ました。世界で唯一人のプロのトイピアニスト、マーガレット・レン・タンの活動を記録したドキュメンタリーです。前半は古典的な演奏を離れたピアノ奏法を追求していく彼女の姿を通して、20世紀音楽の歩みの一側面に光が当てられます。バッハ、ベートーヴェンブラームスのドイツを代表する3人の偉大な作曲家をクラシックの世界では「3B」と呼ぶことがありますが、それにちなんでタンはピアノ奏法の概念を拡張した3人の作曲家を「3C」と呼んでいます。すなわち、ヒジなどを用いたクラスター奏法や内部の絃をはじく奏法を考案したヘンリー・カウエル、プリベアド・ピアノを編み出したジョン・ケージ、そしてカウエルの手法を発展させたジョージ・クラムがそれです。特にケージとタンは親交が厚く、ケージが彼女に与えた大きな影響はこの映画全体を通して強く感じ取ることができます。

彼ら3人の曲を演奏するタンの緊張感あふれる姿は前半の大きな見所です。これまでのヨーロッパ的な感覚に収まらない、ガムランや琵琶などのアジアの響きが取り入れられているのがこれらの作品の大きな特徴ですが、シンガポール出身の彼女が演奏することによってその特色がよりくっきりと浮かび上がっているのです。なかでも説得力があるのはやはりケージ作品で、“ケージ嫌い”を公言してはばからないニューヨーク・タイムズの評論家さえ、その演奏の素晴らしさを称えているのでした。こうした特殊奏法の追求を経て彼女の関心は日本を含むアジアの作曲家へ移ります。武満もその才能に感嘆していたタン・ドゥン、中国の古い楽器の響きをピアノで再現したジ・ガンリュ、そして日本の佐藤聡明らの作品がここでは取り上げられます。

そしていよいよトイ・ピアノの登場です。ここでも大きな役割を果たしているのはケージの「トイピアノのための組曲」ですが、トイピアノを用いた彼女の活動は現代音楽の枠さえも飛び出すユーモアとポピュラリティが加わります。世界で最も有名なトイピアノ奏者といえば、“ピーナッツ”シリーズのシュローダーですが、彼の奏でるベートーヴェンはこれまでのサントラでは本物のピアノによって弾かれていました。そこでタンの出番です。スクリーンにシュローダーの演奏シーンを映し、それにあわせてトイピアノを弾く場面はこの映画で私が最も気に入った箇所のひとつ。さらにベートーヴェンの墓前やブルックリンの子供達の前で「月光ソナタ」を弾くシーンもとても見応えがあります。

かつてタンはピアノの世界が象牙の塔のように思われて、ジュリアード音楽院を出た後、一時音楽を離れて聴導犬のトレーナーになろうとした時期があったそうです(今でも彼女は4匹の犬と共に生活しています)。結局は音楽の世界に舞い戻り、ケージ等の音楽を知ることで活動の幅を広げていくのですが、この時期の彼女はまだ“現代音楽”というもうひとつの象牙の塔の住人だったといえるかもしれません。やはり彼女の音楽が真の意味で自由になり、彼女自身のものとなっていったのはトイ・ピアノに出会ってからではないでしょうか。CD「アート・オブ・トイ・ピアノ」(今ではタワレコで1000円で買えます。お買い得!)を聴けばわかるように、現代音楽も、ビートルズも、ベートーヴェンもそこでは等価なものとして生き生きと鳴り響いているのです。2008年には新たなトイピアノの作品集がCDとDVDでリリースされる予定とのこと。発売が待ち遠しいです。

アート・オブ・トイ・ピアノ

アート・オブ・トイ・ピアノ

  • アーティスト: マーガレット・レン・タン
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1997/10/25
  • メディア: CD
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「アート・オブ・トイ・ピアノ」予告編