最近読んだ/読んでいる本

珍しくブログの文章をまとめた体裁ではない新刊。「大瀧詠一の系譜学」を読むためだけでも買う価値があります。

私は大瀧詠一さんの音楽史こそは(ミッシェル・フーコーを学祖とする)構造主義系譜学の日本における最良の実践例の一つだとつねづね考えてきました

漫画のオールタイム・ベスト10に川原泉「銀のロマンティック・・・わはは」を選んでいることもうれしかった。


散歩のあいまにこんなことを考えていた

散歩のあいまにこんなことを考えていた

比較的やわらかくて、短い文章を集めた本。前半で愛猫、ミケの死を悲しむ文章が続くのですが、内田百輭ノラや」を彷彿とさせる(著者自身によって引用もされているのですが)、あられもない取り乱しようが胸をうちます。実際に猫を飼っている方なら私より深く共感できるのではないでしょうか。

だからわたしは、身をかがめ、ミケのいない空間に右手を差し入れ、存在しないミケを抱え上げ、存在しないお腹に鼻をすりつけてから、その存在しないミケをまた床に下ろしてやる。わたしはこの先何十年生きようと、この動作を寸分の狂いもなく繰り返せるに違いない。そこに欠けているのは、ミケのあの柔らかな毛の密生した暖かい軀、たっぷりした大きな軀だけだ。あの感触もあの重さも、わたしの手はこんなになまなましく覚えているのに、こんなにありありと蘇ってくるのに、しかしミケはもういないのだ。

上の2冊より半月も前から読み始めているのに、まだ上巻の半分までしか進んでいない(笑)。啓蒙書ではないので手ごわいですが、面白いです。新羅明神や魔多羅神など、日本古来の神話中の神でもなく、仏典中の仏でもない神々―異神―について分析している本。彼らはどのように日本に現れ、どのように受容されていったかを克明に追っていきます。様々な説話、呪法や権力闘争と結びつき、影響を与えると同時に自らも変容していく、いわば相互編集によってしぶとく中世を生き抜く異神たちの姿がスリリング。
(参考)http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1087.html